[今日の三宅しんご]
30日、岸田文雄自民党政務調査会長(前外相)をお招きし、私の国政報告を兼ねた朝食会@党本部。
岸田会長からは自民党公約の突っ込んだ説明のほか、自民党以外で「満員電車ゼロを掲げる方もいたが、私が応援演説で回った地方では、電車を満員にしてほしいとの要望ばかり」など、総選挙の総括をいただきました。
質疑応答では、北朝鮮問題、憲法改正の行方などについて会長より丁寧なご回答がありました。
私からは法人課税の在り方を取り上げました。法人の内部留保(利益剰余金)に新たに課税するのではなく、さらなる法人減税の際、利益を過剰に溜め込むばかりで賃上げ、配当などで社会に利益を還元しない企業については税率を例外的に据え置くという私のアイデアを説明。この税制は上場企業などの企業統治の観点から、経営者に対して過剰な溜め込みをしないよう促す効果があります。このほか、憲法9条の改正私案にも触れました。
早朝より、多くの方にお集まりいただき、本当にありがとうございました。公務ご多忙の中、岸田会長には長時間、ご一緒いただき、心より御礼申し上げます3
早朝、首相官邸近くで、政府要人と海外の要人との朝食ミーティングに同席。
香川県出身の西浦氏が会長を務める日装連の祝賀会に参加。夕方、香川にトンボ帰り。
三宅しんご後援会の総会。国政報告の〆は政局の行方と総選挙について
地元の支持者の皆さまが東京近郊に団体で来られているので、早朝、自宅を出て、ご挨拶と政治情勢について意見交換。想定外の展開に多くの方が驚きの様子でした。
自公政権が国民の審判を受けるまで3週間余り。夕方、香川に戻ります。
地元の支持者の皆さまが東京近郊に団体で来られているので、早朝、自宅を出て、ご挨拶と政治情勢について意見交換。想定外の展開に多くの方が驚きの様子でした。
自公政権が国民の審判を受けるまで3週間余り。夕方、香川に戻ります。
坂出市の商店街で第36回津島寿一杯囲碁まつり、こども囲碁名人戦。
高校時代、真面目に囲碁を学んだ時期があります。日本棋院の團宏明理事長、綾宏坂出市長と。
カザフスタン
2017年9月12日21時、北京に到着。市内で現地大使館より中国情勢のブリーフィングを受け、27時に北京を離陸。6時間のフライトで、中央アジアの雄、カザフスタンの首都に到着。かなりの強行軍でした。首都アスタナではまずは川端一郎大使、大手商社の在駐事務所長らと昼食をはさんでの意見交換会。日本は大人気のようです。その背景は戦後の経済復興の成功、首都アスタナの基本設計を黒川紀章さんが手掛けたこと、高品質の自動車など。
カザフスタンはウラン埋蔵量世界1。原油は輸出しているが、効率的な製油所がなく、石油はロシアから輸入しています。企業間でも相互にギフトを贈らない申し合わせがあります。国営企業の場合にはさらに厳しく、日本への工場視察でも、国営企業側がフライト、ホテル代を負担するので、日本側としては十分なおもてなしができないようです。
発展途上国で初の万博
首都アスタナでは万国博覧会がちょうど終わったばかり。発展途上国で初めて。アジアでは日本、中国、韓国に続いて4番目。
アスタナ国際空港を視察。運営会社の会長はイタリア人。日本の援助、黒川紀章さんの基本設計に依るものです。
カザフスタンの序列第2位のトカエフ上院議長(大統領の職務代行第1位)を表敬訪問。アスタナ万博の跡地に国際金融センターを創設する計画があり、議長は「日本の事業への参加を期待している」。また、日本側から大阪万博実現への支援を要請したところ、前向きな回答でした。13日付けのカザフスタンの新聞には私たちの訪問、特に上院議長との会談が大きく報じられました。
14日にはアスタナ市第2小児病院を視察。旧ソ連からの独立後、財政難で医療機器が不足していた2001年、日本が医療機器購入のために約10億円を無償供与しました。供与時の副院長で、受け入れ作業のプロジェクトの担当者だったクルムカノフ医師は「素晴らしいタイミングで、良質の医療関連機器のご支援をいただき、本当に感謝している。アスタナの子供達を助けることができ、死亡率が減った」
アシルベコフ院長は「救急車、麻酔設備、顕微鏡、薬の保管棚など多くのものを支援いただき、今も使っているものが多い。オリンパスの顕微鏡、内視鏡など。残念なのはメンテナンスの際にはモスクワまで送らなければならないこと。東芝製のCTスキャンは古くなり、独シーメンス社製に切り替えた。理由はシーメンス社はカザフ国内にメンテナンス部隊があるため。日本の医療機器はとても使い勝手が良く、壊れないが、メンテが弱いのが残念」。
核兵器は誇りだった
広島と長崎に原爆が落ちてから4年後の1949年。ソ連は初の核実験を実施しました。場所はセミパラチンスク。現在のカザフスタン北東部に位置します。この「セミパラチンスク核実験場」は約1万9千平方km。地下、地上であわせて450回から500回の実験が行われたとされ、合計で、広島に落とされた原子爆弾の2500発分のようです。
91年に閉鎖宣言。97年、カザフスタンのナザレバエフ大統領が国連で同地域が環境破壊状態にあると演説。2000年から2005年まで、JICAの事業としてガン早期発見事業など同地域の医療サービス改善プロジェクトが実施されました。
かつてJICA研修生だった現地の女医は「セミパラチンスクは私の故郷。子供の頃は、ソ連が核兵器という強い武器を持っていることを誇りに思っていた」という。被曝被害の詳細データは今も不明。
日本式の施工管理
カイゼン、ダンドリ、セイリ、セイトン、セイケツ---。約500人の作業員を抱える大手建設会社ストロイクラス社のエルガリエフ会長(カザフスタン建設業協会会長)に、年収の5年分、約300万円クラスの低価格分譲マンションの工事現場をご案内いただきました。アスタナでは低層階のほうが人気が高いようです。
会長はJICAプロジェクトで日本の施工管理の手法を学び、アスタナに導入。朝礼から始まり、きめ細かな工程管理、5S運動などに取り組んでいました。
15日、カザフ人文法科大学で日本語を学ぶ学生と交流。ハングリー精神が旺盛な若い方々と意見交換をすると刺激を受けます。彼らの間で大人気なのが日本の漫画です。
夜景に浮かぶ大統領府を見ながら、空港へ。
モンゴル
14日午後10時過ぎ、カザフスタンのアスタナ空港を発ち、再び北京経由で、モンゴルの首都ウランバートルへ。15日昼前、到着。
世界最寒冷の首都
アスタナとウランバートルは世界の首都の中で、平均気温が最も低い両雄とか。冬の訪問でなく助かりました
まず、モンゴル科学技術大学へ。3年生63人全員が2018年春から、日本の大学10校に留学します。日本語の能力はN2以上、第2外国語は英語。2年間の日本への留学後、必ず5年間はモンゴルに在住する義務があります。 担保をとっているそうです。
翌16日にはモンゴル国立外傷整形外科病院へ。病室内ベッド149台、担架14台、手術台2台、点滴台25個、リハビリ用トレッドミル10台・・・。
2016年春、日本から贈られた医療用中古機器です。日本国内で無償提供された中古機器を約960万円で整備、日本から搬送しました。「とても使い勝手が良く、助かっています」と病院長。
モンゴルでは喧嘩によるケガ、交通事故など緊急医療の患者負担はゼロ。
かつて、日本人の児童がモンゴル滞在中、ケガをしたことがあり、副院長が急きょ、治療のため600キロを車で往復したことがありました。副院長の献身ぶりに感激した両親がこの病院の機器不足を耳にし、日本政府が行なっている対外援助を紹介。今回の支援につながりました。「私の訪問治療手当は1500円だけでしたが、援助につながりとても良かった」と副院長。
モンゴルでは地方の交通インフラが未整備。田舎では馬で訪問することも。悪路用の車は一応、持ってはいるものの、院長は「現在のロシア車は極めて乗り心地が悪く、できればトヨタ車に切り替えたい」。また、「ヘリポートも最近、整備したが、ヘリが1時間3600米ドルと高価で、お金持ちしか利用できない」「CT、麻酔時の患者の容態監視システム、骨のレントゲン機器もほしい」。
倫理観の欠如
続いて、モンゴル政府庁舎で、元・諜報庁長官のドルジパラム・ゲレル氏、国家大会議(国会に相当)のガラムジャブ自然環境・食料・農牧業常任委員長、ミャンマータル国家大会議議員と意見交換。
下水道設備、セメントによる道路や橋梁整備、牧畜業の遊牧から定住化策、緑化、植林事業などへの要望がありました。
モンゴル側によると、「市場経済、民主国家への歩みを進めてからまだ27年。改革途上にあり、モンゴルは様々な問題を抱えている。そうした状況で教育、都市開発などで日本の援助はモンゴルの発展に大きな支えとなってきた」
また、「下水道などのインフラ整備が思うように進んでいないのは首都における急速な人口増加もあるが、事業責任者の倫理観の欠如、責任感の無さ、政権政党の未成熟さなどが背景である」との厳しい自戒も出ました。「中国産の安いモーターを高い値段で買ったことにした人もいた。ポンプは使われずに今も放置されている」。
日本側からは北朝鮮に対する厳しい圧力を要請しました。モンゴル側は日本の主張に賛意を表明。
診療室にJudo Therapy
17日はモンゴル国立医科大学を視察。 日本柔道整復師会が実施団体となって、手術をせずに外傷を治す日本の伝統治療「柔道整復術」のモンゴルへの移転・普及活動について説明を受けました。5名の指導者(写真)と、地方講習会を運営する8人の普及員を育成済み。普及員らが地方を回って、それぞれの集落で簡単な治療を手がける「医師」に柔道整復術を教えているそうです。2016年9月、同大学内に柔道整復術などを教える「伝統治療セラピー科」を新設。この科ではモンゴルの伝統治療法、鍼灸など中国の伝統治療も教えます。「柔道整復術はモンゴルの地方の環境に適しています」と副学長。「Judo Therapy」 と掲げる診療室も。
ウランバートル市街の北半分は「ゲル地区」と呼ばれています。
ゲルは遊牧民の可動式の住居。2000年過ぎから、遊牧民が大量にウランバートルに定住を開始。ゲルを設置し、木の柵で敷地を野放図に囲い始めたそうです。当然、道路は舗装されておらず、上下水道は未整備。マイナス30度の冬には、ゲル内で石炭か、石炭を買えない住民は古タイヤを燃やし、暖とするため、大気汚染は深刻。人口130万人の市民のうち、6割がゲル地区に居住しており、首都の大きな課題となっています。
徐々に再開発を展開しており、日本も支援。占有する土地が再開発の対象となった場合、占有権を持つ住民は①占有面積に応じて、再開発されたアパートに住む②他の土地と交換する③占有権を売却するといった選択肢があるようです。
慰霊碑に献花
第二次大戦後、シベリア抑留日本人のうち約1万2千人がモンゴルに移送され、土木・建設分野で強制労働をさせられました。うち1700人が死亡。ウランバートル市にある日本人死亡者慰霊碑に献花しました。
9月18日。新モンゴル高等学校へ。
日の本の国の信義を胸に・・・
豊穣なるモンゴルは名声を博す
若き日の修学の基
世界に名を成す学びの殿堂・・・
日本の進学校をモデルにした、小学校からの一貫校で、競争率15倍前後の超人気校。創設年の2000年、校舎前に銅像の台だけを建設したそうです。「ノーベル賞、国連事務総長、モンゴル大統領、オリンピック金メダリストになった第1号卒業生のためです」(ナランバヤル校長)。全卒業生約1600人のうち3割強が日本などに留学します。
19日にはウランバートル市内の「太陽橋」へ。2012年竣工・線路を南北にまたぐ橋の完成により、首都の渋滞が一部緩和されたようです。橋のたもとには日の丸と「日本国民の援助により」と刻まれていました。
台北市内のホテルで、日台関係について趙天麟・立法委員(国会議員に相当、高雄市選出)、エコノミストの呉嘉隆氏とのパネル討論。
弊職からは
(一)台湾と日本は民主主義、平和主義、法の支配など普遍的価値観を共有するだけでなく、ともに安全保障面での難題に直面している。友好関係の強化が東アジアの安定には必要である。
(ニ)台湾からの訪日客が増え、瀬戸内国際芸術祭などへの関心がますます高まっている。「①多島美という瀬戸内海の地域特性と、グローバルで普遍的なアートを組み合わせた②過疎化が進む島々で「おじいちゃん、おばあちゃんの笑顔が見たい」をスローガンに地域を巻き込んだこと③これに多彩な食文化が加わった等が知名度向上の背景ではないか」と指摘しました。
2時間を超える討論はあっという間に終了!
うどん県さぬき市は快晴!
門入よさこい2017。県外からも踊り子の皆さまがお越しです。頑張ってください。
昨夕は、むれ源平あかりロードを見学。